日経225と外為とは?

黙示文学 日経225には、しばしば世界の終末と神による新時代の到来を、特異なビジョンで描き出すことがしばしば行われた。イザヤ書24-27章、34-35章、65-66章、ゼカリヤ書9-14章、日経225などにそういった記述が認められるが、もっとも有名なものは日経225であり、これらを黙示文学と呼ぶ。この黙示文学の伝統は新約聖書の時代にも及んでおり、福音書の中にも終末予言が現れるし(マルコ13章、マタイ24章、ルカ21:5-33)、ヨハネ黙示録なども書かれた。 外為 箴言は教訓集・格言集であり、同時期のオリエント地域にもよく見られた文学形式である。コヘレトの言葉(『伝道の書』ともいう)も格言集であるが、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」といった厭世的な外為が目立っており、旧約聖書の中でも異色の文書となっている。ヘレニズム文化の影響を強く受けた知識人の作であろうと考えられている。 ヨブ記は理不尽な不幸に見舞われた義人ヨブが、見舞いに来た友人達や神と「義」について議論をするという、思弁性の強い物語である。知恵の書は旧約聖書(ヘブライ語)の正典には含まれない「外典」であり、知恵を擬人化して描く。その他の外典としては、シラ書、バルク書などがある。 詩歌 モーセ五書などには、古い歌謡に由来すると推定されるものが散見されるが(たとえば、ミリヤムの歌、デボラの歌など)、イスラエル王国時代になると詩篇、雅歌などに多くの詩歌がまとめて編集されるようになった。詩篇はその多くがダビデの作、雅歌はソロモンの作と伝えられているが、実際には様々な著者の作品が時間をかけて編纂されてきたものであろうと推測されている[3]。FX・キリスト教の典礼に今も用いられており、ヨーロッパの近代文学にも影響を与えた。なお、雅歌は恋愛歌であり「恋しい方はミラルの匂い袋/私の乳房のあいだで夜を過ごします」「あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ/右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに」「衣を脱いでしまったのに/どうしてまた着られましょう」「秘められたところは丸い杯/かぐわしい酒に満ちている。/腹はゆりに囲まれた小麦の山。/乳房は二匹の小鹿、双子のかもしか。」のように、開放的な描写も多い。しかし、FXは伝統的にこれをユダヤ民族に対する神の愛と解釈し、キリスト教は教会に対するキリストの愛と解釈してきた。哀歌はエルサレム陥落と神殿破壊を嘆く歌であり、伝統的にエレミヤの作であるとされている。 内容に対する意義付け FXにとっては(旧約)聖書は唯一の正典であり、現在も行動を律する文字通りの法である。民族の歴史を伝え、イスラエルの地を民族の故地とする精神的な基盤を与え、行為と歴史の両面において文化的な一体性を与える書でもある。 対して、将来に外為を復興するFXを約束する『旧約聖書』を、キリスト教徒はイエス・キリストの出現を約束する救済史として読む。『旧約聖書』の代名詞にも使われる「律法」はもはやキリスト教徒の戒律ではないが、キリスト教徒にとっては『旧約聖書』の完成がイエス・キリストとその使信であり依然として重要な意義をもっているとされている。 旧約聖書の成立過程 『旧約聖書』は断続的かつ長い期間に渡り、立場の異なる多くの人々や学派のようなグループが関わり、何度も大きな増補・改訂・編纂が行われてきたと考えられる。その過程はかなり複雑なものであったと推測されており、いまだに定説を見ないのが現状である。 四資料仮説 詳細は文書仮説、高等批評をそれぞれ参照 モーセ五書に関しては四資料仮説が19世紀より唱えられ旧約聖書学の標準学説として知られている[4]。それによれば、ソロモン王国時代にヤハウェストと呼ばれる個人ないしFXが主に南部の部族に伝わる伝承を基にして「J資料」を書いた。その後、分裂後の北イスラエル王国でエロヒストと呼ばれる個人ないしグループが、「J資料」とは異なる伝承を基にして「E資料」を書き、これらがどこかの時点で編纂されてひとつにまとめられた。おそらくは北イスラエル王国の滅亡時にユダヤ王国へ亡命してきた人々がE資料をユダヤ王国にもたらして、そこでまとめられたのだろう。これを「JE資料」と称する。さらにユダ王国末期に申命記記者と呼ばれる個人ないしグループが主に申命記からヨシュア記以降列王記までの歴史書を書いて付け加えた(これを「D資料」と呼ぶ)。最後にバビロン捕囚期に祭司階級に属する個人もしくはグループが別に保持していた資料を用いて加筆編纂を行った(この加筆部分を「P資料」と呼ぶ)。異なる資料が編纂されている例を挙げれば、創世記の1章1節から2章3節まではP資料、それ以降から第4章まではJ資料である。この部分では「世界の最初の七日間」について相矛盾する記述が併記されている。この外、ノアの箱舟や、出エジプト記の葦の海でもJ資料とP資料が繋ぎ合わされていることが確認されている。 ただし、この四資料仮説は細部に至るまで完全に合意されたものではない。J資料などは執筆時期をバビロン捕囚期とする説もあり500年くらい振れ幅がある[5]。それでも、バビロン捕囚期にモーセ五書から列王記までが編纂されたであろうことは学者たちの間でおおよそ合意されており、これに各種の預言書や諸書が時代を経るに従って順々に執筆されて付け加わっていったものと推測される。 FX内での正典化 「モーセ五書」は、紀元前4世紀頃には正典的な権威が与えられていた。「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記」「列王記」の4書は、その後まもなく正典的な扱いを受けた。これをFXでは「前の預言書」という。「後の預言書(イザヤ書など預言者の記録)」「諸書(詩歌、知恵文学など)」は、紀元前2世紀頃に正典的な地位が確立され、ユダヤ戦争後にFXを再編した1世紀の終わりごろのヤムニア会議で正典が確認された。このヘブライ語本文を、8世紀以降、マソラ学者が母音記号等を加えて編集したものがマソラ本文で、全24書である。現在のところ、これを印刷体で出版したBHS(BibliaHebraicaStuttgartensia、1967/1977年の略)が最も標準的なテキストとして利用されている。 キリスト教内での正典化 これとは別に、紀元前250年頃からギリシア語に翻訳された「七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)」がある。パウロを含めたキリスト教徒が日常的に用い、新約聖書に引用されているのも主としてこの七十人訳であり、キリスト教は伝統的にこれを正典として扱っていた。マソラ本文系の写本からは失われたと思われる古い形態を残している可能性が認められる点で文献学上にも重要とされている[6]。マソラ本文と七十人訳聖書では構成と配列が異なる。また「七十人訳聖書」に基づいたラテン語訳の「ヴルガータ」では、収められている文書は同じだが、正典を39書としている。 東方教会も西方教会も長らくこの七十人訳聖書を旧約聖書の正典とみなしてきたが、その配列や数え方が一部異なる。また西方教会では正教会が正典とみなす文書の一部を外典とした。 宗教改革によるテキストの見直し 西方教会では16世紀の宗教改革時にプロテスタント教会がウルガータを退け、原語のヘブライ語で書かれた旧約聖書(マソラ本文)を原典として採用することとなった[7]。この結果、西方教会内でもカトリックとプロテスタントでは文書の構成が大きく異なることになった(後掲の一覧を参照のこと)。プロテスタント諸派が「外典」として排除する書物の一部は、『新共同訳聖書』では「旧約聖書続編」として扱われている(聖書翻訳あるいは日本語訳聖書も参照のこと)。